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最高裁判所第三小法廷 昭和55年(オ)1186号 判決

上告人

大谷哲平

右訴訟代理人

阪本紀康

被上告人

合同製鐵株式会社

右代表者

池田正

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人阪本紀康の上告理由第一点について

所論の利息額に関する原審の認定判断は、計数上正当であると認められ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第二点について

原審の適法に確定したところによれば、上告人の被相続人である大谷米太郎は、大谷重工業株式会社の代表取締役として、右会社の自己に対する貸付金を記載した決算報告書の作成に関与し、決算内容を承知してこれを会社に提出したもので、その際に個人としてもとくに異議を留保した事跡はない、というのであるから、右事実関係のもとでは、大谷米太郎は決算報告書に記載された自己の債務の存在を承認したものと解するのが相当であり、これと同旨の原審の判断は正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(伊藤正己 環昌一 横井大三 寺田治郎)

上告代理人阪本紀康の上告理由

〈前略〉

第二点 原判決は大谷重工業の第二八期決算報告書に米太郎に対する貸付金及び未収利息の記載があること、米太郎は大谷重工業の代表取締役として右決算報告書の作成に関与し、その内容を承知してこれを会社に提出したものであること、個人として特に異議を留めていないことを各認定し、以上の事実から米太郎の会社に対する債務承認行為があつた旨認定している。

右事実認定の当否については上告審である当審で争うべきもないことは自明であるが、これら認定事実の下で作成されたとする株式会社の決算報告書が果して民法第一四七条所定の時効中断事由にいわゆる債務承認としての法的評価をうけうるに値するものであるか否かは正に法律解釈の問題であり、その評価に誤りがあつたならば、これは判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令違背といわざるをえない。

債務の承認とは債務者から債権者に対してなされる観念の通知であり、本件に則していえば、債務者である米太郎個人から債権者である大谷重工業に対してなされるべきものである。

従つて、原判決が認定した前記各事実が果して右にいう債務承認行為といえるかが吟味されなければならない。

原審判決が債務承認行為と評価しうるとして認定した前記各事実をみると、一応大谷重工業の第二八期決算手続の全般を問題とし、その中に米太郎個人の債務承認行為があつたと判断したようである。

しかしながら、右認定事実中、あるものは債務承認と評価するには無意味な事実であり、又あるものは決算手続を厳格に把握していないことから生じた不正確な事実といわざるをえない。

認定事実中、問題の一は米太郎が代表取締役として決算報告書を会社に提出したとする箇所である。

周知のとおり、決算手続は会社の業務に関する報告的機能を有するものであり、まず代表取締役が作案し、これを取締役会の議を経て確定したのち、監査役の調査を経てその意見を徴したうえ、株主総会に提出してその承認をうけるものであるが、右手続中には決算報告書を会社に提出する手続は法律上予想されていない。

いま、原審判決が会社と表現したことを株主総会の意であるとすれば、株主総会はあくまで会社の一機関にすぎず、債務の承認をうけうる機能を備えた機関などではない。

当然ながら、会社が債務の承認をうけたと評価するためには、会社の代表権限を有するもの、又はその者から特に授権されたものが行為をうけうる唯一の相手方たる資格を有するのであり、当時の大谷重工業にあつては、単独で代表権を有していた代表取締役としての米太郎一人である。

しかるに、前述したように決算手続においては、代表取締役が関与するのは決算書類の作案と取締役会及び監査役に対する提出、その後、会社を代表して株主総会へ報告のため提出することの限りであり、会社を代表して他から決算書類を受領する手続はない。

決算書類の作案以降は右からも判るとおり、代表取締役に向けられた行為など存在しないのである。

しからば、果して代表取締役が決算書類を作案する際、債務者から何らかの形で債務の承認をうける手続が予想されるであろうか。

この点について、原審判決は米太郎は個人としても異議を留保した事跡がないとの事実を他に併せ認定していることが問題となるが、本来決算書類は計理帳簿の記載を集計して作案されるもので、そこに他に対する債権の記載があれば、そのまま一定の形式に従い転記されるにすぎない。

作案の都度、当該債務者に対し、異議を促す手続など保障されていないのである。

すると原審判決の右部分の認定は、もともと保障されていない手続をもとになされたものであり、本来かかる手続が保障されていながら敢えて異議を留めなかつた場合に一般に付与され、見出しうる積極的意味合はどこにもないのである。

仮に本件の債務者が米太郎以外の第三者であれば、原審判決が認定した如き諸事実を以つてしては到底債務承認行為があつたと評価されることなどないのである。

代表取締役が作案した決算書類に第三者に対する債権の記載があつても、決算の都度、債務者のために異議を留める手続が保障されず、従つて第三者が敢えて異議を留めていなくとも、これらを以つては決して債務の承認があつたなどと評価されるはずはないのである。

本件ではたまたま、債務者米太郎が同時に債権者会社の代表取締役を兼ねていたという特異な事情があり、このことが原審をして決算手続の中で何らかの債務承認と評価すべき事実があつたのではないかと誤認せしめた理由であると推測されるが、しかしながら、会社の代表機関である代表取締役と個人とは当該行為をする立場によりいずれの行為であるかが峻別されなければならず、仮にこれが混同されたとしたら、すでに法人格理論は成り立たないのである。

会社の決算手続において、米太郎が関与し得たのはあくまで代表取締役としてであり、個人としてではない。

代表取締役の行為は会社の行為と評価され、個人の行為はどこまでも個人の行為でしかないのであり、そのために代表取締役を通じて会社の行為と評価されるためには、顕名主義に基く一定の形式が要求されるのである。

繰り返すが、会社の決算手続は会社の一機関としての株主総会に向けられた会社、即ち代表取締役との行為であり、そこには個人の行為等介入する余地はないのである。

以上述べたことから判るとおり、そもそも一般に決算手続の中に債務承認行為を認めることはできないのであり、本件の場合もたまたま、右に述べた如き特殊事情があつても、原審判決が認定したような大谷重工業の第二八期決算手続中に、米太郎の個人としての債務承認行為と評価すべき事実を思い出すことは到底できないものといわざるを得ないのである。

以上、いずれの論点よりするも原判決は違法であり、破棄されるべきである。

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